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弘前市内 桜の名所


天満宮

青森県弘前市大字西茂森1丁目1−25
0172-32-5796



 天満宮は、領内修験(山伏)の触頭(ふれがしら)を勤めてきた大行院のあった場所ですが、明治5年修行廃止命令により廃止となりました。

 その後、旧岩木町の愛宕山橋雲寺より菅原天神を移建し、天満宮としました。
 
 樹齢500年以上といわれる県天然記念物のシダレザクラがあります。


最勝院五重塔

青森県弘前市大字銅屋町63
0172-34-1123


 真言宗智山派の寺院。境内には重要文化財に指定されているものとしては、日本最北の五重塔があります。

 弘前市内では、長勝寺と並ぶ代表的寺院です。

旧弘前偕行社

青森県弘前市御幸町8-10
0172-33-0588


 明治40年、堀江佐吉らによって建てられたルネッサンス様式の洋風建築があり、敷地内にソメイヨシノの古木が見られます。

 建物は平成13年に国の重要文化財に指定され、現在は記念館として保存されています。


大仏公園(石川城・大仏ヶ鼻城跡)

青森県弘前市大字石川字大仏




 天文2年(1533)、津軽に入った南部高信は平賀・田舎・沖法の三郡(現在の南津軽郡全域)を支配下に置き、石川城(大仏ヶ鼻城)を居城としました。

 元亀2年(1571)春、大浦(津軽)為信は石川城に近い堀越城の改修を願い出ました。しかし、それは為信の謀略で、修築すると見せかけて兵糧や武具を運び、大工や人夫に見せかけて兵を引き入れ、戦の準備を整えました。

 そして堀越城修理の完了と、その宴を行う旨を高信に伝え、高信側の家臣を歓待した日の夜、為信はついに兵を挙げました。

 奇襲を受けた高信勢の防戦も敵わず、妻子共々自害して果てたと言われています。

 春のソメイヨシノと共に、初夏には園内一帯に植えられたアジサイが、見事な花を咲かせます。

堀越城跡

青森県弘前市堀越字川合




 建武3年(1336年)、北朝方の曾我太郎貞光により築城されました。

 元亀2年(1571年)、大浦(津軽)為信はこの堀越城に兵を集め、南部高信の石川城を急襲し、落城させました。

 文禄3年(1594年)には大浦城から堀越城へと本拠が移りましたが、慶長16年(1611年)、弘前城の完成と共に本拠が弘前城へ移った後、元和元年(1615年)一国一城令により廃城となりました。

 昭和27(1952年)、津軽氏城跡として種里城、弘前城とともに国史跡に指定されました。
 現在、城跡には熊野神社があります。

国道7号線(青森県弘前市津賀野地区)




 弘前市内を北上する国道7号線のうち、津賀野地区にはソメイヨシノの並木が続き、花時にはドライバーたちの目を楽しませています。

岩木山周辺(湯段地区・岩木山総合公園)





 弘前市(旧岩木町)岩木山麓において、昭和60年(1985年)「岩木山麓に世界一の桜並木を!」をキャッチフレーズに、10年の歳月をかけて「オオヤマザクラ」6500本を植栽、「岩木山オオヤマザクラ・ネックレスロード」として親しまれています。

 標高差により、花の開花時期が弘前市内とずれる為、弘前市内の桜が見ごろをやや過ぎても楽しむことができます。

 周辺には名峰岩木山をはじめ、嶽(だけ)・百沢温泉、岩木山・高照神社などの温泉や名所・見所が多くあります。

岩木神社

青森県弘前市百沢字寺沢27
0172-83-2135

 弘前市(旧岩木町)岩木山麓にある、岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は別称、「お岩木さま」「お山」とも呼ばれ、宝亀11年(780年)、岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされています。その後、延暦19年(800年)に坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建、父の坂上刈田麿を合祀したとされています。十腰内(とこしない)地区には下居宮(おりいのみや)を建立、山頂を奥宮としました。この下居宮は、現在は厳鬼山神社となっています。
 寛治5年(1091年)、神宣により、十腰内地区から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺と称したのが現在の岩木山神社となっています。

 現存する社殿、楼門は江戸時代初期から元禄時代にかけて、津軽藩主代々が造営・寄進したもので、本殿・拝殿・奥門・楼門等が重要文化財に指定されています。

桜林公園

青森県弘前市百沢東岩木山





 弘前市(旧岩木町)、岩木山麓の桜林公園は、その標高差の為、弘前公園のソメイヨシノの見ごろから、1週間~10日位後が見頃となります。広さは約3.8ha、1,000本の桜が咲きほこります。

 桜林公園は、岩木山神社を出発点とする、岩木山登山道百沢ルートの途中でもあります。